『ヴィンテージアロハシャツの見分け方』柄(パターン)の種類と歴史に注目

先日、茅ヶ崎市美術館にて開催されていた「ヴィンテージアロハシャツの魅力」という展覧会に行ってきました。なんだかすごく茅ヶ崎らしい展覧会だなと思って足を運んだのですが、これが意外と楽しかった。

アロハシャツの歴史に日本がすごく深く関わっているんです。知っていましたか。私は全く知りませんでした。展覧会に行って知ったこの知識をより深めようと、アロハシャツの歴史、デザインの種類、その意味について調べてまとめてみました。

結構濃い内容になっているので、ぜひ読み物として見ていただければと思います。

開襟シャツ「アロハシャツの歴史」日本とハワイの関係性

ハワイでは1830年代頃からサトウキビ畑や製糖工場の労働者の確保のために外国からの移民を受け入れるようになり、1860年代頃から20世紀初頭にかけて国や民間企業の斡旋により多くの日本人が農業労働者としてハワイへ移住を始めました。その際に持ち込んだ「着物」が、ハワイの気候に適さなかったため「バラカシャツ」という開襟シャツを参考にワークシャツを作り、それが現在のアロハシャツの原型になっていると言われています。

アロハシャツの正しい名称は「ハワイアンシャツ」

1885年に官約移民としてハワイへ渡った宮本長太郎という人物が、1904年に日本の生地を使用してシャツを製作する「ムサシヤ MUSASHIYA」という仕立て屋をハワイで創業します。1935年にこの「ムサシヤ」がホノルル・アドバタイザー紙の広告に「アロハシャツ」という言葉を初めて使い、この言葉が世界に広まり始めました。この頃のハワイは客船の就航や航空路の発達等によって、観光地と人気を集めるようになっており、アロハシャツが土産物として徐々に人気を集め始めるようになりました。

1937年には中国系商人のエラリーチャン氏が「アロハシャツ」という名称を商標登録。そのため実は「アロハシャツ」は商品名であり、「ハワイアンシャツ」が正式名称となっています。ちなみに現在でも「アロハシャツ」という商標登録を所持している人がいるようです。

1950年代頃にはアロハシャツがアメリカで大流行になり、“世界史上最も売れたソロアーティスト”エルビス・プレスリーらなどが好んで着用したため、「ハワイ」の知名度も全世界へと広まるようになりました。

特に人気なヴィンテージアロハシャツは1940年代〜1950年代に作られたもの。現代のデザインにも通ずる卓越したデザインのヴィンテージアロハシャツは非常に人気が高く、世界中に多くのコレクターがいます。今回の展覧会「ヴィンテージアロハシャツの魅力」でもこの時代のアロハシャツが数多く展示されていました。

ハワイのスミソニアン博物館には、1936年に初めてアロハシャツとして商品登録された和柄のシャツが保管されているようです。そのためアロハシャツを初めて作ったのは日本人だと言われているのかもしれませんね。

ヴィンテージアロハシャツの柄(パターン)の種類

現在のアロハシャツにも様々な柄がありますが、ヴィンテージアロハシャツにも数多くの柄やパターンが存在します。むしろ当時からデザインのバリエーションが豊富で、すでに確立されていたのかもしれませんね。

アロハシャツの柄、パターンを展覧会で知ったものを中心にまとめたのでご紹介させていただきます。「え、こんな意味があったんだ!」なんていう発見もあると思います!

(以降ご紹介するアロハシャツの画像はアフィリエイトリンクになっておりますのでご了承ください)

オールオーバーパターン(総柄)


イメージ:楽天より SUN SURF「総柄アロハシャツ」

「オールオーバーパターン」は「総柄」とも呼ばれ、生地全面に一定の柄や模様が繰り返されているのが特徴です。アロハシャツと聞くと一番最初にイメージする柄ですよね。一定の柄が繰り返されているシンプルなデザインのため、制作過程でも生地の扱い方や縫製などの制限が少なく、もっとも量産に向いているとされています。そのため多くのブランドから様々なデザインが作られており、流通量も多く、ある意味王道的なデザインと言えるでしょう。
デザインはハワイらしく南国の植物が描かれていることが多いですが、これといったルールや決まりはありません。一定の柄が繰り返されていればオールオーバーパターンであり、それが和柄であれば、和柄のオールオーバーとなります。柄とパターンとの違いです!

ボーダーパターン


イメージ:楽天より SUN SURF「ボーダーパターンアロハシャツ」

「ボーダーパターン」は第二次世界大戦後、1945年頃に登場して観光事業が広がり始めた1950年代になって広く普及したデザインです。縦方向に柄が続く、ボーダーのように見えるデザインが特徴です。デザインのモチーフとしては花や植物が描かれていることが多いです。なぜ花や植物がモチーフとなることが多いのでしょうか。

ハワイに行くと花飾りを首からぶら下げますね。あの花飾りを「レイ」と言います。ボーダーパターンに肩からボタン際に沿って、花や植物のデザインが連なるデザインが多いのは「レイ」を首から掛けているように見せるためです。ちなみにボーダーパターンは生地の方向性が縫製に影響するため、生産コストは高めになります。

ボーダーパターンもよく見かけるデザインですが、レイを掛けているように見せるデザインだったとは…賢い!でも個人的には着づらくなってきました……いつでもハッピーに見えるというか。悪いことではないんだけどね!

ホリゾンタルパターン


イメージ:楽天より SUN SURF「ホリゾンタルアロハシャツ」

「ホリゾンタルパターン」は天地があるデザインで、絵柄が水平に描かれています。一枚の絵画のようなデザインですね。ホリゾンタルの由来はデザインに地平線(ホライズン)があること、また制作過程で縦長の生地に対して横方向(ホリゾンタル)にを切り出すためだと言われています。
このホリゾンタルパターンを得意としていたブランドが「デューク・カハナモク」でした。代表作をいくつも残し、そのデザインは今でも復刻版として販売されています。
ホリゾンタルパターンのヴィンテージアロハシャツは1950年頃に作られたものが多いのですが、ホリゾンタルパターンは絵のバランスを保つように縫製する技術が必要とされるのと、生地を沢山使用するため、各メーカーもそこまで力を入れて作ることはなく、流通量は多くありませんでした。

流通量が多くなかったということ、絵のように美しいデザインであること。飾るにはまさにもってこいなアロハシャツでコレクターも多そうですね。私も集めるならこのパターンのアロハシャツにします。CDやレコードなどと一緒に飾って、茅ヶ崎を部屋に取り入れたいです。安直。

ピクチャーパターン


イメージ:楽天より SUN SURF「ピクチャーパターンアロハシャツ」

ピクチャーパターンは1950年代から登場したデサインで、写真のように見えるデザインが施されています。当時は現代のような転写技術は発達していなかったため、職人が点描のように原版の写真から網点で型を作り、その上から色を重ねて作っていました。非常に手間ひまが掛かり、尚且つ熟練の技を必要とするデザインでした。
また写真がデザインの元となっているため、世界中の風景を表現することができるのもこのパターンの特徴となっています。

ここまで手間暇を掛けてまで作りたかった。それだけオリジナル性や新しいデザインを求めて挑戦していたということなのだと思います。どのように作業をしていたのか、ぜひ当時の映像などが残っていれば見てみたいものですよね!

バックパネルパターン


イメージ:楽天より SUN SURF「バックパネルアロハシャツ」

「パックパネルパターン」はアロハシャツの前面はシンプルな単色なデザイン、背面に絵画のようなデザインが描かれているのが特徴です。ボーリングシャツをイメージしてもらうとわかりやすいと思います。というか、ボーリングシャツが生まれるきっかけとなったデザインだったと紹介されていたような気がします……(曖昧!)
また前面のポケットのフラップ箇所に背面と同じ色のパターンがあしらわれていることが多くです。背面と前面、ポケットのフラップ箇所とそれぞれ違う生地が必要となり、手間やコストがかかるため、「バックパネルパターン」のアロハシャツも流通量が少なく貴重とされています。
背面の絵柄には人物が描かれていることが多いのも、「バックパネルパターン」の特徴ですね。
私が一番クールだと思ったパターンだったので最後にご紹介しました。シンプルにイカしてますよねッ!ちょっとやんちゃな感じがするのは気の所為でしょうか。ボーリングシャツに引っ張られているのかも。

百虎で有名な和柄


イメージ:楽天より SUN SURF「和柄百虎のアロハシャツ」

アロハシャツ草創期のブランドの「ムサシヤ」。そのムサシヤがアロハシャツとして初めて販売したのが和柄だとも言われています。アメリカから輸入される前は日本から素材を輸入し、それをハワイの気候に適するように作られていました。そのため初期の頃には和装の生地が使われており、40年代後半からプリントに適したシャツ用の生地が使われるようになりました。また、ムサシヤだけではなく、キロハナ、キングスミスなども和柄のアロハシャツを制作しており、当時から一般的なデザインであったと言えます。

アロハシャツの名称にも「祭り」「鯉のぼり」「平等院鳳凰堂」「金魚」「能面」「舞妓」「降り立つ鷹」などの和名が付けられています。英語での名称は「MATSURI」や「MAIKO」日本語そのままのものだったり、「THE EAGLE HAS LANDED」などの英訳されたものがあります。ちなみに平等院鳳凰堂は「ROYAL FLOATS & BYODOIN」です。
ちなみに「能面」は英語での名称は「NOH MASK」。日本語と英語がミックスされてる!なんて思ったら、実は「能」は元々英語で「Noh」というらしいです。「Japanese Dance」的なものかなと思ってました。

今回の展示会で特に目を引いたのが「百虎」でした。繊細でデザインで逞しく、それでいて虎の曲線がすごく愛らしいデザイン。
こんな場面に遭遇したらどうしましょうね。地獄絵図認定です。掛け軸とかだと一匹の虎が描かれていたりしますが、アロハシャツは真反対。もしかしたら、当時の日本人から「邪道だ!」なんて声もあったりしたんですかね。そんな現代っぽいというか生々しいことを考えてしまいます。

日系人部隊のメモリアル柄


イメージ:楽天より SUN SURF「メモリアル柄アロハシャツ」

「日本人部隊のメモリアル柄」は米軍日系人部隊の第100歩兵大隊がモデルとなっています。
通常、連隊というと第1大隊、第2大隊と師団の下に組まれていきます。しかし日系人大隊には所属する師団がありませんでした。それもそのはず、第二次世界大戦が開戦された当時、日系人は米軍からの信頼してもらうことができず、戦線に出ることを想定されていなかったからです。しかし、彼らは訓練場で他の隊以上の優秀な結果を多く出したこと、また、ハワイ大学の学生が結成したトリプルVの活動などが評価されたこともあり、彼らは戦線へ出ることが許可されます。戦場においても、彼らは“将来の日系人の立場のためにもアメリカからの信頼を得るために結果を出さなければ”と奮闘した結果、数々の功績を残し米軍史上最も多くの勲章を受けた部隊となりました。

そんな第100歩兵大隊の功績を讃え、制作されたアロハシャツが「日系人部隊のメモリアル柄」になります。このアロハシャツのデザインには第100大隊の愛称である「ワン・プカ・プカ」という文字もモチーフとして使われています。ハワイ語でプカは穴、つまりゼロを意味さし、ワン(1)プカ(0)プカ(0)、100となります。
あんまり浅はかなことは言いたくないのですが、大逆転ストーリーに胸熱したというか、あとなんで僕にも日本人の血が流れているはずなのにこんな自堕落なのだろう、と少し落ち込んだというか……血は関係ないですね。この人達が本当に偉大だったんです!

メニュー柄


イメージ:楽天より SUN SURF「メニュー柄アロハシャツ」

「メニュー柄」はまさにその名前の通り、レストランなどで目にする「メニュー」から来ています。1920年代にマトソンナビゲーションカンパニーが運行していた米国本土からハワイを結ぶ航路を航海していた「マトソンライン」の客船にて、そのダイニングで使用されていたメニューの表紙がデザインの元となっています。非常にカラフルなデザインが特徴的です。
たまたま目にしたメニューの表紙をアロハシャツのデザインにしよう!と考えた人はすごい閃きとセンスの持ち主ですよね。そしてしっかりルーツを表す「メニュー柄」という名称。やっぱり意味があるんだ!って感じがします。(浅はか)

ランド・オブ・アロハ


イメージ:楽天より SUN SURF「LAND OF ALOHA」

「ランド・オブ・アロハ」はハワイで21色もの色版を使用して作る、技術的に非常に難易度の高いアロハシャツです。日本で職人の手によって生地にプリントを施し、ハワイで縫製された、日本の技術とハワイの技術が手を取り合うことで実現した作品です。「ランド・オブ・アロハ」には17パターンのカラーバリエーションが存在します。
柄というよりも正確にはアロハシャツの名称なのかもしれませんが、非常に代表的なアロハシャツなので紹介させていただきました。展覧会では確か3種類見ることが出来たかと思います。確かグリーンベースのものと、イエローベースのもの、あとブルーベースのものだったと思います。記憶違いだったらごめんなさい。
絵柄自体は可愛らしいですよね。でもこの制作過程の裏では職人さんたちが眉間にシワを寄せて作っていたのかなと想像すると非常に感慨深い。明日も仕事がんばろッ!

デューク・カハナモク


イメージ:楽天より SUN SURF「デューク・カハナモクアロハシャツ」

ワイキキビーチの銅像にもなっているデューク・カハナモクという人物。ようこそ、ハワイへという歓迎のポーズをしていますが実は凄い人なんです。彼は1912年のストックホルム五輪の水泳100メートル自由形で金メダル、1920年にはアントワープ五輪で100メートル自由形で金メダル、800mリレーで金メダル、1924年のパリ五輪でも100メートル自由形で銀メダルを獲得しました。また、彼はサーフィンをスポーツとして世界に広めた人物で近代のサーフィンの父とも呼ばれている偉大な人。
「デューク・カハナモク」はそんな彼の名前をブランド名として起用し、ブランフリート・スポーツウェア社が1936年からスタートしたアロハシャツブランドです。
こちらも柄というよりもブランドの紹介なのですが、アロハシャツを語るには欠かせないかなと思い、ご紹介させていただきました。とはいえ語るも何も、今回の展覧会で興味を持っただけというか、脛を浅くかじった程度なんですけどね。個人的な「ヴィンテージアロハシャツの魅力」のメモの意味も含めて記載させていただきました。

ジョンメイグス


イメージ:楽天より SUN SURF「KEONI OF HAWAII アロハシャツ」

そして最後にご紹介するのがアロハシャツが好きな人はきっと誰もが知っている(憶測)伝説のハワイアンテキスタイルデザイナー「ジョンメイグス」のアロハシャツについて。彼が手掛けたアロハシャツは今でも非常に人気が高く、現在でも彼が描いた1940年代の未発表作品が「KEONI OF HAWAII(ケオニ・オブ・ハワイ)」の名称で製品化され販売されています。
ヴィンテージアロハシャツのデザインをモチーフとして、ジョンメイグスが独特のデザインへと昇華させています。どのアロハシャツも時代を感じさせない、斬新なデザインとなっています。彼にしか出せないこのポップ感がそうさせているのかもしれませんね。

ヴィンテージアロハシャツの素材やボタンにも注目!

以上、ビンテージアロハシャツパターンと柄についてご紹介しました。
次に注目していただきたいのが、アロハシャツの素材やボタンについて。いくつか種類があるので、主にヴィンテージアロハシャツに使用されていたものを中心にご紹介します。

アロハシャツのボタンの種類

「ココナッツボタン」
アロハシャツのボタンの素材として一番代表的なのが、ヤシの実を削り出して作った「ココナッツボタン」。ココナッツボタンにも様々な種類があり、シャツの雰囲気に合うものがそれぞれ用いられています。

「竹ボタン(バンブーボタン)」
1950年代のヴィンテージアロハシャツによく使用されていた竹製のボタンです。柔らかい雰囲気と使用すればするほど味が出るのが特徴。磨くと光沢が出るのも竹ならではですね。特に和柄のアロハシャツに使用されていました。

「貝ボタン」
貝の粉末を樹脂で固めて作られたボタンです。色素を混ぜることで貝の光沢と自然な色合いを作り出すことが出来ます。黒蝶貝ボタンは貝の粉末と黒色の染色を混ぜたもので、黒色が濃ければ濃いほど高級と言われています。その他にも白蝶貝ボタン、茶貝ボタンなどもあります。

アロハシャツの生地の種類

「レーヨン素材」
レーヨン素材は発色が良いため、色鮮やかなデザインをプリントするアロハシャツにはぴったりの素材です。光沢感もあり、手触りも柔らかくサラサラとしていて、吸湿性にも優れています。

「シルク素材」
シルクは当時から高級素材としてして知られていました。天然素材であるシルクは薄くて軽やかで非常に肌触りが良く、紫外線を吸収する効果もあるため、日差しの強いハワイの気候によく合う素材です。ヴィンテージアロハシャツの中でも希少価値の高い素材です。

「コットン素材」
竹ボタンとの相性が一番良く、使い込むと味が出る素材です。シルクやレーヨンと比べると安価な素材ですが、最も生地が厚く吸水性に優れており、丈夫な素材でもあります。

実際に展覧会を見ていて感じた年代ごとの違い

1950年代頃までのヴィンテージアロハシャツはほとんどがボタンの数が4つでした。60年代以降からボタンの数が5つ以上のものが確認できました。このボタンの数も当時の流行に関係していたのかもしれませんね。
またほとんどのヴィンテージアロハシャツが「2つ穴のボタン」を使用していました。現代の「4つ穴ボタン」はほとんど見かけなかったことから、こういうところにも時代を感じ取れました。

あと個人的に考察したことが色の使い方について。
1950年前期POLYNESIAN SPORTSWEARの「日本庭園(金閣寺) ORIENTAL GARDEN」に描かれている金閣寺、青色で描かれています。全然金じゃない!
松の緑、紅葉?の赤、橋の青、そういった色のバランスを見て、金閣寺も橋と同じ建造物として青で描いたのかもしれません。金閣寺を青で描くことで、色のまとまりもあり、金で描くよりも和を感じ、こういった表現の仕方は衣類のデザインとしてのアイデンティティを重要視しているのかなあなんて。そんなことを考えてみたりもしました。ただのデザインと言ったらそれまでですが。

著名人、芸能人がデザインしたオリジナルアロハシャツ

「ヴィンテージアロハシャツの魅力」では著名人、芸能人がデザインしたオリジナルアロハシャツが沢山展示されていました。
その中でも個人的にグッとささったというか、これ普通に着たい!と思ったものを写真に撮ってきました。

ブラザートム【FAMILY BOND】

マイク眞木【SUN RISE ALOHA】

さかなクン【ギョロハシャツ】

記事に書くつもりではなかったので、そんなに写真を撮ってきませんでした。どうせならぐっさんとかのインパクトあるアロハシャツも撮ってくればよかった!どうせならみんなにも見せたかった!
さかなクンの写真は撮っておいてよかったなと強く思います。だってこのシャツがなかったら「サカナタイム」との関係性が0になってしまうからね。ギリ繋がれた、ギリ載せてもテーマ外れじゃない、かな。

展覧会「ヴィンテージアロハシャツの魅力」茅ヶ崎市美術館

茅ヶ崎市はホノルルと姉妹都市を締結して今年で5周年。節目となる記念の年に開催された展覧会「ヴィンテージアロハシャツの魅力」。こういったヴィンテージアロハシャツの展示を行ったのは茅ヶ崎市美術館が国内公立美術館で初めてだそうです。
本展覧会で展示されていたものはアロハシャツブランド「SUN SURF」のディレクターで、世界的なアロハシャツコレクターとしても知られる小林亨一氏のコレクション。およそ110点ものヴィンテージアロハシャツが展示されていました。

茅ヶ崎市美術館の情報について

茅ヶ崎市美術館
住所:〒253-0053 神奈川県茅ヶ崎市東海岸北1-4-45
TEL:0467-88-1177
FAX:0467-88-1201
休館日:月曜日
開館時間:10時ー17時(入館は16時30分まで)

公式ホームページはこちら

「ヴィンテージアロハシャツの魅力」について

展示会「ヴィンテージアロハシャツの魅力」
開催時期:2020年9月12日(土)〜11月8日(日)
観覧料:一般800円、大学生600円、市内在住65歳以上400円、高校生以下、障害者およびその介護者は無料
20名以上の団体は100円引き
割引:アロハシャツor“ALOHAマスク茅ヶ崎”を着用の方は観覧料が100円引き

主催:公益財団法人茅ヶ崎市文化・スポーツ振興財団
協力:東洋エンタープライズ株式会社

近くの古着屋さんにヴィンテージアロハシャツが眠っているかも

ここまで長々と見ていただいた方は本当にありがとうございました。
アロハシャツのルーツには日本人が深く関わっていること、私も今回の展覧会に足を運ぶまでは知りませんでした。知るっていうのは楽しいものですね。
退屈な毎日も知的好奇心というドリルで掘っていけば、色々な物事の新しい魅力に気付くことができる。とは言え、行動力が鈍いのでドリルの回転数も遅いのですが……兎にも角にもまた地道にこうして皆さんに新しい発見をお伝えできればと思います。

また次回の記事でお会いしましょう。ALOHA!

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